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宇都宮家庭裁判所 昭和50年(家)342号 審判 1975年8月29日

申立人 服部努(仮名)

右法定代理人親権者母 服部靖代(仮名)

相手方 太田輝明(仮名)

主文

本件申立はこれを却下する。

理由

一  本件申立の要旨はつぎのとおりである。

申立人母と相手方との間に、昭和四六年五月一二日浦和家庭裁判所において、つぎのような要旨の調停が成立した。

(一)  申立人(本件申立人母)と相手方(本件相手方)は本日調停離婚する。

(二)  申立人と相手方間の長男努(本件申立人)の親権者を申立人と定める。

(三)  相手方は申立人に対し、努の養育費として、昭和四六年六月から同五一年五月まで毎月末日限り一か月金二、〇〇〇円宛浦和家庭裁判所に寄託して支払うこと。

相手方は昭和五一年五月までの約定の養育費を支払済であるが、現今のインフレにより生活費が嵩むので、一か月一万円宛の扶養料の支払を求めるため、本件審判申立に及んだ。

二  本件申立は、昭和四九年一二月一〇日浦和家庭裁判所に申立てられたが、同五〇年二月一二日移送決定により当庁に係属したものである。

三  本件記録中の浦和家庭裁判所昭和四六年(家イ)第一八号夫婦関係調整調停事件調書謄本によると、申立人母と相手方との間に前記のような条項の調停が成立したことが認められるが、そのほか前記調停中には、「当事者間の離婚に関する紛争は、本件によつて全て解決したものであるから、当事者双方は今後互に本条項に定めた以外は身分上の主張は勿論離婚を原因とする財産上の請求をしないこと。」との条項もある。このことにつき、相手方は、前記調停で合意のできた相手方の養育費負担義務は五年間の期限付で、それ以降は負担義務を免れ、申立人母において全額負担する趣旨であつた旨主張する。前記調停における相手方の養育費負担の趣旨が相手方主張のとおりであつたかどうかはさておいても、少くとも、五年間は相手方の負担額は一か月二、〇〇〇円とする趣旨であつたことは明らかといえる。

ところで、前記養育費負担の条項は扶養義務者である申立人母と相手方間の合意であり、形式的には申立人の相手方に対する扶養請求権の存否およびその額にかかわるところがないといえる。このことは、そもそも扶養請求権の処分は無効であることからもいえるところである。しかしながら、扶養義務者である父母間の子の養育費負担についての合意が子の父母に対する扶養請求権に全くかかわるところがないとすることも相当でない。即ち、養育費といつても扶養料といつても、結局は親の子に対する扶養義務の履行であることに変りはなく、養育費によつて子の扶養が充足されているかぎり、子の扶養請求権は問題にする余地はなく、その具体的請求権は発生しないといえるのである。さらにまた、父母が養育費の負担について合意する場合の父母の意思は、実質的には子の扶養料請求についても合意しているものと解せられるのであり、父母の合意が子の扶養請求権に何らかかわるところがないとすることは、父母の意思に反するとともに、合意を無に帰する結果になるからである。ただ、父母間の養育費負担の合意の内容が著しく子に不利益で、子の福祉を害する結果にいたるときは、子の扶養請求権はその合意に拘束されることなく、行使できるというべきである。そのほか、合意後事情の変更があり、合意の内容を維持することが実情に添わず、公平に反するにいたつたときは、扶養料として増額の請求は認められる(このことは父母間の養育費の負担としても同様である。)。

四  そこで、前記調停中の申立人母と相手方間の養育費負担についての合意の内容が申立人にとつて著しく不利益であるかどうかおよび調停成立後事情の変更があつたかどうかについて検討ずる。

本件記録中の筆頭者申立人母の戸籍謄本、相手方の戸籍附票、○○技建株式会社発行の申立人母の各給料支払明細書、××産業株式会社発行の相手方の給与および賞与明細書、西村修名義の各家賃領収証、当庁調査官持丸匡および大分家庭裁判所調査官吉井建之各作成の調査報告書、相手方審問の結果によると、つぎのような事実が認められる。

(一)  申立人母と相手方は昭和四四年三月三一日婚姻し、同年一二月九日申立人をもうけた。

(二)  申立人母は、前記のとおり離婚後、申立人を連れて○○市の実家に帰り現在にいたつている。実家においては申立人の祖父母・叔父と同居し、祖父(五七歳)は△△○○病院事務係長、叔父は自動車会社営業課員をしており、住居は借家で、家賃は一か月一万余円である。申立人母は、昭和二一年一月二〇日生、高校卒業で、現在○○技建株式会社に勤務し、収入は、昭和五〇年三月分は本俸七万円、残業手当一、〇〇〇円、休日手当四、〇〇〇円合計七万五、〇〇〇円、控除額失業保険四四四円、社会保険二五八四円、厚生手当一、九七二円、積立金一、〇〇〇円合計六、〇〇〇円、手取六万九、〇〇〇円、同年四月分は本俸七万円、残業手当五、五〇〇円、休日手当四、〇〇〇円合計七万九、五〇〇円、控除額三月分と同じ、手取七万三、五〇〇円である。そのほか申立人および申立人母名義の財産はない。申立人母は、一か月の収入のうち四万円を申立人母および申立人の生活費として家に入れ、一万四、〇〇〇円を申立人名義で貯金し、現在申立人は幼稚園に入園しているのでその費用一、七〇〇円を支払い、残額を化粧品代や小遣いなどに使用している。現在のところ申立人母および申立人の生活は安定している。

(三)  相手方は、三二歳、高校を卒業し、金属表面処理装置を製作している××産業株式会社に勤務して、製図など技術関係の仕事をしている。相手方は申立人母と結婚当時から離婚後も△△市の本籍地に居住していたが上記会社が昭和四九年八月×××市に移転するにしたがつて現住所に転居した。なお、相手方は、昭和四九年一月頃申立人母に復縁を求め、申立人母が明確な態度を示さないうち上記会社が移転することになつたので、その際、明確な返事を求めたが、申立人母においてこれを拒絶したので、約定の申立人の養育費の残額を一括支払つたうえ、同年七月三一日美佐子(二八歳)と再婚し、×××市に転居したものであり、美佐子は昭和五〇年一二月出産の予定である。相手方の収入は、昭和五〇年一月から同年四月までは毎月基本給一〇万五、五〇〇円、家族手当一万二、〇〇〇円、住宅手当九、〇〇〇円、物価手当一万三、〇〇〇円合計一三万九、五〇〇円、控除額健康保険四、二六〇円、厚生年金五、三九六円、失業保険九〇六円、所得税三、九九〇円、住民税八、九三〇円合計二万三、四八二円、手取一一万六、〇一八円、同年五月および六月それぞれ基本給一一万三、二〇〇円、加給二万一、四〇〇円、家族手当一万二、〇〇〇円合計一四万六、六〇〇円、控除額上記公租公課合計二万四、三五二円、手取一二万二、二四八円、賞与として、昭和四九年一二月支給額五一万五、四〇〇円、控除公租公課五万四、五五五円、手取四六万八四五円、同五〇年六月支給額五一万六、四〇〇円、控除公租公課四万三、六八七円、手取四七万二、七一三円であり、他に財産はなく、住居は借家で、家賃は一か月二万四、〇〇〇円である。妻美佐子は職に就いていない。

(四)  ところで、父母は未成熟子に対しては自己と同一程度の生活を保障する扶養義務があり、この義務は、父母が離婚し、未成熟子が親権者である親のもとに監護養育されている場合、他方親権者とならず、子と生活を別にしている親にとつても同じであり、その場合、未成熟子にはいずれか生活程度の高い親と同等の生活が保障されるのである。ただ、そうはいつても、親に自己の最低生活費を削つてまでも扶養を期待することは無理であり(親子間の情誼は別である)、そのような場合は公的扶助を問題にすべきであるから、自己の最低生活費を控除して余格ある場合に扶養義務を負担することになる。

そこで、前記相手方および申立人母の生活状態を基準として、申立人の必要生活費および相手方の扶養能力ならびに負担額について検討してみる。

申立人の必要生活費の算定については、労働科学研究所が生活費の実態調査をして算出した総合消費単位を用いることとする。

申立人が相手方と生活する場告の生活費は、相手方の収入について、昭和五〇年六月の手取給与額を基準とし、賞与を各月に按分し、職業経費として収入の一〇パーセントを控除し、家賃は、現在の経済情勢からみて前記程度の額はやむをえないといえるから、前記の家賃額を控除し、相手方の消費単位を中等作業一〇五、相手方配偶者の消費単位を主婦八〇、申立人の消費単位を四五とすると、つぎのとおりである。

{200,044円(賞与を含めた平均月収)-20,004円(職業経費)-24,000円

(家賃)}×(45/105+80+45) = 30,312円(円未満切捨)

申立人が申立人母と生活する場合の生活費は、申立人母の収入を昭和五〇年三月および四月の平均手取給与額とし、職業経費として収入の一〇パーセントを控除し、申立人母は両親と同居し家賃を支出していないが、家賃を全く認めないと不公平になるので、昭和四九年六月一三日改訂五三次生活保護基準による一級地および二級地の住宅扶助基準額を控除し、申立人母の消費単位を軽作業九〇とすると、つぎのとおりである。

{71,250円-7,125円(職業経費)-5,500(住宅扶助基準額)}×(45/90+45) = 19,541円(円未満切捨)

以上によれば、申立人母の収入については、賞与についての資料がないので賞与は加算されていないが、賞与を加算したとしても、なお相手方と生活を共にした場合の申立人の生活が高い程度にあるものと推察されるから、申立人の必要生活費は三万三一二円である。

つぎに、相手方と申立人母は上記の申立人の生活費を各人の生活の余力に按分して負担することになるが、その余力は各人の収入から生活保護基準による基準生活費を控除した残額である(実際には上記基準額は低きにすぎるが、一応この額によることにする。)。基準生活費は前記生活保護基準による。

相手方と配偶者の基準生活費(二級地)は、

13,660円+11,560円(以上いずれも1類)+9,790円(2類)+7,400円(期末一時費)

+5,500円(家賃) = 47,910円

となり、その余力はつぎのとおりである。

{200,044円-20,004円}-47,910円 = 132,130円

申立人母の基準生活費(二級地)は、

11,560円(1類)+8,570円(2類)+3,700円(期末一時費)+5,500円(家賃) = 29,330円

となり、その余力はつぎのとおりである。

{71,250円-7,125円}-29,330円 = 34,795円

以上によれば、申立人の負担額は、

30,312円×(132,130/132,130+33,795) = 23,993円(円未満切捨)

となるが、申立人母の収入に賞与が加算されるとその生活の余力は上記より高くなり、相手方の負担額は減少するけれども、その場合でも相手方の負担割合は五〇パーセントを大きくこえることが推察される。

以上によれば、申立人が申立人母と生活を共にするより相手方と生活を共にする方の生活程度は高く、前記相手方の養育費負担額は収入に比して少なきにすぎるが、申立人と申立人母との生活は一応安定しており、申立人の福祉を害するまでにはいたらないし、事情の変更についても以下述べるようなことがいえる。離婚当時から本件審判時にいたるまでの物価の謄貴が著しいことは顕著な事実であり、これを総理府統計局消費者物価指数によつてみると、人口五〇、〇〇〇人以上の都市の場合、昭和四五年度の指数一〇〇とすると、昭和四六年度の指数は一〇六、二、同四九年九月の指数は一五九、二であり、昭和四九年九月当初において既に同四六年度より約五〇パーセント謄貴しているのであり、給与所得者の給与も一応物価の謄貴に見合つて増額されているものといえるので、相手方の負担する養育費もこれに見合つた増額が相当ではあるが、その額自体が高いものではなく(五〇パーセントとしても一、〇〇〇円)、一方申立人母の扶養能力は離婚当時より増進しているものと推察されること、他方相手方においても配偶者を迎えて扶養の負担が加重していることおよび以下申立人母について述べる事情を考えあわせると、他に事情変更の事由あることが認められない以上、事情の変更があつたとして、相手方に対し前記養育費の額をこえて扶養料の負担を命ずるまでの必要はないといえる。

五  なお、本件については、つぎのような事情がある。

即ち、前掲各調査官の調査報告書によると、当庁調査官において相手方について調査した際、養育費増額方考慮を促したところ、相手方が昭和五〇年四月現在から同五一年五月まで一か月三、〇〇〇円の増額負担を考慮してもよい旨の意向を示したので、大分家庭裁判所調査官において申立人母について調査した際、上記の意向を伝えたところ、申立人母は、約定の養育費は既に一括して支払を受けているので、その分については増額請求はしないが、上記養育費負担の期限経過後申立人が小学校卒業するまで一か月三、〇〇〇円宛と小学校入学時に支度金として三万円ないし五万円の負担を求めるが、上記支度金の条件が満たされない場合には一か月五、〇〇〇円宛の負担を求める旨の意向(小学校卒業以後についてはその時点で考慮する)を示していることが認められる。

六  以上によると、前記申立人母と相手方間の申立人の養育費負担についての合意を変更する相当の理由は認め難く、むしろ、昭和五一年六月の時点において改めて申立人の扶養の必要性およびその程度、相手方の負担能力の有無およびその割合について検討することが適切妥当な結果をもたらすものと思料する。よつて、本件申立は失当としてこれを却下することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 浜野邦)

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